なぜ、日本は
世界と差があるのか?
から始まった旅

倉本和昌と申します。
サッカーコーチにコーチをするという日本で唯一の仕事をしています。
私はかれこれ25年以上「日本が世界レベルのサッカー大国になるには?」を考え続けてきました。
1993年にJリーグが始まる前、当時テレビでイタリアのセリアAを見ていたことがきっかけです。
自分も含め、小学5年生だった周りはみんなJリーグフィーバーになっていました。
しかし、私は普段テレビで見ているセリエAの試合とJリーグの試合のプレースピード、激しさがこんなに違うのだろうと不思議に思っていました。
そして「どうやったらこの世界の舞台に日本が行けるんだろうか?」と考え始めたのです。
ビジョンは
チャンピオンズリーグ
日本人50人!
サッカーコーチのコーチ
って何?
その結果、そのコーチのミッション、ビジョンや将来像を明確にさせることで、より自分らしく指導ができるコーチになってもらうようにしていくことを仕事としています。
そのような影響力の強いコーチが多くなり「自分もプロ選手になって海外で活躍するんだ!」と夢を持っている子どもたちに関わることで、選手の更なるレベルアップにつながります。
世界基準の
サッカーコーチになる
3つの柱
しかし、今サッカーをやっている子どもたちの夢はJリーガーになることではなく、「Jリーグで活躍して、ステップアップし、最終的にはヨーロッパのビッグクラブでプレーする!」というものに変わっています。
例えば、久保建英選手は川崎フロンターレのジュニア経由でF Cバルセロナのアカデミーで育ち、日本に戻ってF C東京でトップチームに上がり、今度はレアル・マドリードへ移籍しました。
南野拓実選手がザルツブルグからリバプールへ移籍、安倍裕葵選手がバルセロナBへ移籍する時代になりました。
先人たちの活躍のお陰で、「だったら自分もできるはずだ!」と希望を持って頑張っている子どもたちがたくさんいるのです。
そんな夢を追いかけている子どもたちに私たちコーチが「チャンピオンズリーグでプレーする?そんなのお前には無理!」と言えるでしょうか?
当然誰もが夢を描いてその通りにいくわけではありません。
しかし、子どもたちの夢自体を僕ら大人が壊したり、笑ったりしていいのでしょうか?
その子の夢がF Cバルセロナでプレーすることなのであれば、私たちもその基準を知らないといけないわけです。
「その夢面白い!道はかなり険しいけど、コーチも全力でサポートするよ!」となったときに、これまでの日本の基準で考えるだけでは難しいのです。
子どもたちの夢を叶えるため、自己研鑽を続け、子どもにより良いアプローチをしたいと願うコーチも増えています。
バルセロナに渡って
サッカー観が
全てひっくり返る
さらにコーチングスクールでサッカーについて体系的に学び、それを普段のリーグ戦で発揮するサイクルの中に自分の身を置けたこと。
この経験が非常に大きかったです。
直接現地で見られなかったのですが、日本からの仕事で2008年ヨーロッパ選手権のスペインを追いかける、スペインの現地の様子をレポートに書くことをやらせてもらいました。
偶然にもその大会でスペイン代表が優勝し、スポーツの力で国が1つになるという経験をさせてもらいました。
元々スペインは民族意識が強く、代表チームが応援されないし、タレントはいるけど結果が出ないという歴史を辿っていました。
私が住んでいた街はビルバオだったので、よく友人も「俺はスペイン人じゃなくてバスク人だ」と言っていましたから。
それがこの優勝によって「俺はバスク人だけど、スペイン人でもある」と言い始めた人が出てきたのです。
私自身スペインが国際大会で優勝するのは生きているうちはお目にかかれないと思っていたので、本当に驚きましたし、与えた社会的影響の大きさを肌で感じました。
初めてサッカーコーチで
クビになる経験
なんと1つのシーズンで2回も首になる経験をすることになったのです。
あまりにショックで塞ぎ込んでいる私にコーチングスクールのクラスメイトは「おめでとう!!」という残酷な言葉を投げかけてきました。
「何がおめでとうだ!この〇〇野郎!!」と怒り散らしていた私でしたが、彼らは「重要なポジションに就いているから首になったんだろう?どうでもいいアシスタントコーチだったら首もないぞ。つまりこれが監督としてのスタートだね」と言ってくれたのです。
おまけに当時コーチングスクールで授業を教えていたスーペルデポルの育て親である名将ハビエル・イルレタさんが「カズ。大変な思いをしたようだな。
だけど本物の監督は3回首になってからだ!!」という名言を教えてくれました。
指導者としては散々なシーズンでしたが、無事コーチングスクールを卒業し、2009年日本に帰国。
人の縁に恵まれ、2010年2月から湘南ベルマーレのアカデミーで働かせてもらうことになります。
4年後、大宮アルディージャに移籍し、担当カテゴリーを持たず、ジュニアからユースまで全てのカテゴリーに携わる仕事をやらせてもらいました。
途中でU-13の担当になり、そのままU-14へと持ち上がるのですが、ここでこれまで解決できなかった問題が同じように出てきてしまいます。
そう。それはスペインの時にも経験した「選手との信頼関係がうまく作れない」ということです。
それまでも自分が思いつく限りの様々なアプローチはしたつもりでした。
でも、根本的な解決にはならなかったのです。
なぜ脳科学・心理学を
学び始めたのか?
最終的に自分の能力をもっと他のコーチにも使うことはできないのかと考え始めました。
もちろんJリーグのクラブでコーチとして働けるなんてこの上ない幸せなことです。
一方で「クラブのコーチ以外にも自分が悩んできた中で作ってきたアプローチができれば、もっとたくさんのコーチの指導力アップに貢献できるのではないか?そうするともっと選手のレベルアップにつながるのでは?」と思うようになりました。
最終的により多くのコーチ、もっと言うと日本サッカー界に貢献するにはサッカーコーチのコーチとして起業することだと思い、断腸の思いでクラブを離れる決意をしました。
自分の考えを理解してくれ、今でも応援してくれているクラブには本当に感謝しています。
起業してからこれまで1000人を超えるサッカーコーチに携わらせて頂き、日々より良い指導ができ、選手が伸びるように、選手がより主体的になるようにアプローチするお手伝いをさせてもらっています。
自分の使命通り生きている実感があります。
これからも人生において大切なことをたくさん学ばせてもらった、もたらしてくれたサッカーに恩返しを続けていきたいと思います。

